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talulah gosh's blog

リハビリがてらの備忘録(昔のブログは http://d.hatena.ne.jp/theklf/ )

わたしにとっての洋服

世の中のおしゃれな人たちには兄や姉がいたり、街の空気やさまざまな情報に影響を受けておしゃれな格好をしてきたのだと思うけれど、わたしはそうではなかった。ショッピングセンターしかない片田舎に住み、女の子なんだから赤やピンクの服を着ればいいという母と緑や青が着たいというわたしの攻防戦が多少あったものの結局はお金を出す母の意見がそこそこ通った服を着ていたし、それは高校に入った直後まで続いていた。

 

今思い返すと、当時の(そして今も)原動力の大半は「見返す」という気持ちにあった。勉強をがんばっていたのも、その中学からはまだ入学した人がいなかったレベルの県外の高校を目指したのも、自分をバカにした人間に対し、絶対的な評価基準で上回ることで鬱憤を晴らしたかったからだ。

ある部分では、洋服への興味もこの延長線上にあるものだったかもしれない。中学でしか着ていないけれど、制服に対してはほぼ興味がなかったと言う方が正しい。ノーマルのままで着ている数少ない生徒だったので、傍目にはとても真面目に見えていたと思う。高校でパーマをかけたら「真面目だった○○(わたし)が高校に入ったらパーマをかけたらしい」と与り知らぬ地元の高校で話題になっていたと人づてに聞いた話を記したら、周囲がわたしに持っていた印象が少しは伝わるだろうか。
本当は真面目云々というよりも、単にヒダ数やスカート丈、白シャツに拘って担任や生活指導といつもモメていた同級生たちの行動がこの上なくバカバカしいと思っていたからというだけなのだが。

高校で制服がなくなると、バカバカしいと思っているだけではすまされない環境になった。物理的に毎日違う服を着ていかなければならなくなったからだ。ただ、同級生たちはみんなわたしからすれば入学初日の時点でこの上なくおしゃれだった。内部進学が大半で、京都のセレクトショップに中学の頃から出入りしているような子たちとはもうレベルが違いすぎていた。逆にそれがよかったのかもしれない。珍しく人と比べて悔しいとか悲しいとかいうことをあまり感じなかったのだ。

それ以降は「どうして自分には理想があるのに自分はまったくそこに当てはまらないのだろう?」と思うことの方が圧倒的に多くなった。わたしの顔かたちや目鼻だちや体型は、わたしが理想としていたものとは全然違っていたので好きなところなんてひとつもなかった(それもやっぱり今でも同じ)。そんなこともあってか、洋服は次第にコンプレックスを一足飛びに覆い隠してくれるもの、という新たな意味と役割を担うようになった。どこも好きなところはないけれど、これが好きだと言える洋服があること、それを着ているということは、少しだけ自分の自信になった。年数を経て化粧品や装身具へと装うものは増えていったけれど、それらがすべて、些細な衝撃ですぐ折れそうになる心を守る鎧であることは変わらない。

誰も聞いていないのに洋服についての自分語りをしようと思ったのは、Chapter22の新刊『My favorite Skin(あたらしいひふ)』を読んだからだ。無難で平均的な洋服の受付嬢(イメージはベージュと薄ピンク)、洋服に自信がない女性プロジェクトマネジャー(黒)、かわいいで武装するSEのバイトギャル(紫とショッキングピンク)、モード服に自分の存在価値を重ねるデザイナー(グリッターにパイソン柄)。総務、システム課、デザイン課と会社の中に散らばる4人の女の子たちの洋服(もしくは着飾ること)への想い、そしてそれぞれに対する洋服と人柄に対する印象が、職業ととてもうまくリンクさせて描かれていた。

この4人の中なら最も近いのはデザイナーの女の子だなと思った(自分はデザイナーではないしおしゃれかどうかはさておく)。彼女が世界の色が一気に変わるような洋服に出会った瞬間を思い出す場面、ひとつも自分に好きなところがないならせめて大好きな洋服を、と思って照れる場面、そういうところがいつかの自分とまったく同じだった。実際、河原町の京都BALにあったコム・デ・ギャルソンで、ローブ・ド・シャンブルの黒いワンピースを初めて見た時のことは今でも忘れられないでいる。そしてそう思った途端に胸の奥がギュッとした。

女が好きな服と男が好きな服が違うのは知っている。自分の好きな服が「モテる」分野の範疇にはないことも知っている。デザインに凝ったネイルも大きすぎるコスチュームジュエリーも見る人が見れば派手すぎるというのもわかる。今はこういう題材が流行りなのか、社会学者や作家やブロガーその他いろいろな人間がしたり顔で適当な定義をつけて分類している。でも彼や彼女たちは(当たり前だが)上っ面のことしか語る素材にしない。だいたい、誰にも好かれる服はわたしを助けてはくれない。やさしくて人当たりはいいけれど、泣きそうになった時に鋼の鎧になって「あいつらを見返してやる」と気持ちを奮い立たせてはくれないのだ。

赤い口紅を塗るには体力が要る。でも一度つけたら赤い色に引きずられて嫌でも動けるようになる。外反母趾で扁平な足には13センチのヒールで長時間歩くのは痛いし辛い。でも履いている時は背筋が伸びて自分が嘘でも強くなったように思える。そこには鋼の鎧が放つ光が溢れ、キラキラしたそれは自分を勇気づけ輝かせてくれる。

わたしにとっての洋服は、昔からずっとそういうものだったと思う。

ここ最近、好きなものやことを改めて思い返す機会が多い。大半が90年代の記憶を辿る作業になっているのだけれど、このマンガを読んだ後、やっぱり同じような作業をすることになった。わたしにとっての洋服はどんな存在だったのか。それを再確認させる言葉に今出会ったからこそ少し泣いてしまったのだなと思った。