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talulah gosh's blog

リハビリがてらの備忘録(昔のブログは http://d.hatena.ne.jp/theklf/ )

東京で珍しく吹雪いているので思い出したこと・1

自分で物を考えるようになる年の頃に秋田の雪深い地域に住んでいたためか、冬は雪で埋まるものという認識が普通だった。 

かつて住んでいた家は田んぼの真ん中に建っていて除雪車が入れないので、近所の病院の端に除雪後の雪が大きな山になっていて、そり滑りやちょっとしたスキーの練習はそこでほぼ賄うことができた。毎朝除雪車の来る地点まで父や母が雪かきをしてくれるので、ちょうどプラスチックスコップ(横幅が広い)の幅になった細い道をちょいちょい歩いていろいろな所に行った。その道幅はのちに父がヤンマーの自家用除雪機を買うともう少し広くなり、雪かきの時間も大幅に減った。 

スコップにしろ自家用除雪機にしろまったく手つかずの場所は当然できる。春から秋までの季節は高低差のある土地も雪が降ると同じ高さになる。踏み固められない所はさらさらとした雪のままで平地になり吹雪になるとその表面を雪の粉が渦を巻いて舞う時もあって、びゅうびゅうと吹雪に吹かれる中を母親に手を引かれつつきれいだなあと思って見ていた。でもその前を通るたびに「あそこには絶対行ったらあかんよ」と言われた(両親は秋田に行っても秋田弁に慣れなかった)。そういう場所を吹きだまりとみなは呼んでいた。踏み固められていない雪の上は歩くと重みで簡単に雪が崩れて足が抜けなくなる。小さい子どもなんて簡単に死んでしまうよと何度も何度も言われたので、たぶんそういう事故が当時たくさんあったのだと思う。 

平日は温度で色が変わる手袋を嵌め裏の歯をひっくり返すスノーシューズを履いて学校に行く。除雪車が作る雪の壁に手をずるずる擦って行くので、着く頃にはゴアテックスなどない時代の手袋は縫い目から水を吸ってぐずぐずになり、手袋をはめているにも関わらずしもやけになりそうに冷たい手を教室の窓際にあるボイラー(火傷をするから触るなと言われていて実際熱かったし囲いもなかったけど、特に事故が起こることはなかった気がする)にかざし、ついでに手袋を乗せて乾かした。色が変わる手袋は何種類もあって柄をみんなで見せあい、今思えば些細なことなのになんだかとても楽しかった。 

町の商店街には縦型の信号機とお湯の出る道があった。道やお湯からぼわぼわと白い煙があがるし地面は赤い錆が浮いているので、またなんだか不思議だなあと思っていた。大きくなってテレビで何かの番組を見た時に、温泉地帯に似ていたんだなと初めてわかった。 

たいてい帰省は雪深い時期ではなく夏のお盆だったのでお正月休みは雪の中で過ごした。「笑っていいとも」(の前にやっていた「笑ってる場合ですよ!」も含めて)を16時からやるような民放2チャンネルしかない地域では見る番組も限られていたけれど、両親の年齢がそこそこ若かかったためか(母は20代半ばだった)それなりに流行の番組は見ていたように思う。そういう時はただ楽しみそのお陰もあってか立派なお笑い好きになったけれど、ただひとついつも不思議なことがあってそれは新春のかくし芸や漫才の番組を見ると、テレビの中の女の人たちは振り袖を着て外で羽根つきをし、洋服ならばスカートを穿いているということだった。母親に「なんで冬に外であんな格好ができるのか」と聞いたことをなんとなく覚えている。日本には雪が降らない地域があって冬でもスカートを履ける地域があると知るのはやっぱりかなり後の話。